[体験談の投稿者]しーん様
男性、40歳

私は、福島県でイチゴ農家として生計を立てていました。
2011年3月11日の東日本大震災の大津波でイチゴのハウスは全壊し、生きる糧を失いました。

震災直後はイチゴの再建など考える余裕もなく、ただ生き残ったことに感謝しながら避難生活を送っていました。
震災から半年経つとライフラインは、ほぼ元通りになり徐々に日常の生活を取り戻していきました。
しかし、それと同時にイチゴハウスの借入金をどうやって返済すれば良いか考える時間が増えてきました。

農協に相談すると、今の状態では再建は難しいから、債権整理をしたほうが良いのではないかというアドバイスをもらいました。
このアドバイスを機に債権整理についていろいろ調べました。
震災による債権整理は、阪神・淡路大震災を機に整備されたことを知りました。
阪神・淡路大震災の時は、被災した事業主が、できるだけ早く再建できるように緩い審査で再建資金を融資しました。
この融資によって再建できた人は増えましたが、二重ローンが経営を悪化させ多くの事業主が経営破たんしました。
この結果から、東日本大震災では、再建を支援する融資と同時に債権整理も準備することになったそうです。

私は債権整理について調べたにも関わらず、政府が準備した2つの「サイケン」で悩みました。
イチゴを再建するか、債権整理するかで迷いました。もし私が独身だったらイチゴ再建の道を選んだかもしれません。
しかし私は債権整理を選びました。その理由は妻と娘がいたからです。
家族を守るために債権整理する道を選びました。そして一から始めようと決心しました。
農協で債権整理の話しを聞いてから半年後のことです。

半年もかけて結論を出せたのは、ある意味幸運だったかもしれないと今は思っています。
なぜなら、私の場合は、震災という不可抗力によって返済できない状況になったことで債権者からの取り立てはほとんどなかったからです。

私の債権整理は、個人版私的整理ガイドラインで行いました。
私的整理ガイドライン事務局から紹介された弁護士のもとで、債務整理開始の申出書を作成することから始めました。
必要書類は、自己資金を証明するものが多くを占めました。自動車の車検証、保険、賃貸契約書、口座の残高証明などを弁護士に渡しました。約2ヶ月かけて必要書類を揃え、申出書を提出しました。

約4ヶ月後、債権整理の結果がでました。自己資金300万円を残せるというものでした。
自己破産なら100万円未満になるところだったので、震災によって優遇処置が取られたということでした。

私は今兵庫県に住んでいます。震災から2年半が過ぎ家族が1人増えました。
見知らぬ土地で未経験の仕事に着いたので、給料は少なく贅沢はできませんが、家族と一緒に暮らせる幸せを感じています。

しかし「借りた金は返すべきだ」という思いは消えていません。
債権整理による後ろめたさもあります。しかし返せないで苦しむよりも、苦しみながらも一から始める人生を私は選んでよかったと思っています。